1980年にデュラエースaxを筆頭に始まったエアロブーム。
その賛否は兎も角、これを契機に自転車部品のデザインは変化します。
これまでの重厚で手の込んだ刻印や飾り穴は減っていき、
ツルペタで製品ネームはプリントとされていきます。
エアロ効果の元にコスト削減とも思える製品が一気に増え始めたのです。
シマノaxシリーズに対抗するサンツアーはサイクロンマーク2他の
マイクロライトシリーズで巻き返しを図ります。
当時は日本の自転車産業の最盛期でもあり、
シマノVSサンツアーの図式が日本製品の品質・性能向上に繋がっていたのです。
160gと当時の国産メカ最軽量のサイクロンマーク2。
しかし、初代サイクロンのようなヒット作にはならず。
次のサンツアーの一手として開発されたのがグランテックです。
パンタアームを密閉したシールドボディ。
これはもちろん悪路でのメカトラブルを防ぐため。
ロードレーサーでなく、ツーリング車や当時流行りかけていたクロカン車、
そして次世代車種として誕生したMTBをターゲットにしています。
スペースコース100と名付けられましたが、
市販化を前にグランテックの名称に変更されました。
ショートケージだけでなくロングケージモデルも発表。
しかし、このグランテックの名は商標登録に問題があったようで、
市販後すぐに「シュパーブテック」に変更されました。
シュパーブの名はロードパーツとして浸透していたので、
このネーミングは???でした。
サイクロンテックではダメだったのかな!?
グランテックといえばBSの折りたたみサイクリング車。
その販売より先にサンツアーグランテックは発売されますが、
憶測ですが、すでにBSが先に商標登録されていたのでしょう。
サンツアー製品、「ヒーロー」→「BL」になったり、
サイクロンがシクロウネと同じ綴りで問題になったり。
職人気質な集団でアイデア商品をたくさん作る一方で、
営業的には弱い部分があったのかもしれませんね。
すでに市場にはグランテック名で流通してしまいます。
ショップではグランテックとシュパーブテックが併売。
なのでショップでは旧名のグランテックを叩き売りしている店も。
しかし、メーカーの意気込みとは裏腹に販売は伸びません。
特殊なワイヤー取り付けと引きの重さがマイナス要素に。
従来のWレバー操作でなく、手元シフト的な方式ならば、
その変速システムに有効だったかもしれませんが後の祭り。
グランテックもシュパーブテックも売れ行きは鈍く、
セールス的にはサイクロンマーク2以下となるのです。
結果はデュラエースaxもサンツアーマイクロライトシリーズも、
話題性は高かったもののメーカーの思惑ほど売れなかったようです。
しかし、このエアロブームがきっかけで、
現代に繋がるパーツデザインの基礎を作り上げたのも事実です。
失敗を糧にヨーロッパ部品を凌駕する企業に成長したシマノ。
対してサンツアーは時代の波に乗れず事実上の倒産に。
その命運が分かれるのはバブル崩壊の頃となります。
●サンツアーシュパーブテックRD-4700●
重量201g 定価/7,250円 トータルキャパシティ28T ロー最大ギヤ26T以下
※発売開始時期は1982年頃
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