旅からす本館 日本をもっと楽しもう!!

butobosoと申します。 ヤフーブログ停止に伴い移行しました。自転車趣味を中心にライフスタイル全般ならびに旅日記をお届けします♪

自転車、鉄道、オートバイの手段で日本中を旅して30年以上。本土のみならず、北は礼文島から南は波照間島まで様々な土地を旅してきました。 分割ながら、自転車による日本一周を30代で終えました。 旅人宿であるユースホステルには300泊以上宿泊しました。 自費出版で「旅からす」なる旅の本も不定期に発行しています。 子育て真っ最中なので、中々旅には出られなくなりましたが、身近で小さな旅を楽しみながら、家庭崩壊にならない程度に多彩な趣味を楽しんでいます♪

1995年1月、正月休みを利用して北海道の鉄道旅へ。

目的はこの年の9月に廃止となる深名線に乗るため。国鉄からJRへの民営化が決まり、赤字路線の廃止が1985年前後に本格化され、北海道からも多くのローカル線が消えていった。


深名9

沿線道路が未整備との理由で、廃止を免れていた深川駅から名寄駅を結ぶ路線距離120kmを超える深名線もバス転換が決まり1995年9月4日で廃止が決まってしまった。




深名2

深名3

大晦日の上野発の北斗星に女房と乗り込む。鉄道にも旅にも興味のない女房だが、この頃は私のワガママな行程にも付き合ってくれていた。

札幌駅から特急オホーツクに乗り換え、網走で連泊して釧網線を乗り回す。冬季2割引の北海道ワイド周遊券が乗りテツには有り難かった。




深名4

富良野で1泊後、早朝の列車を乗り継いで深川駅に到着。出発まで30分以上あるが深名線のキハ53はすでに入線済み。凍てつく駅の暖房待合室のような状況で乗客の姿も複数みられた。




深名5

夜半まで降っていた雪を除雪するために早朝から作業を進めていたであろうラッセル車も休息中。




深名6

寒さに耐えきれずシャッターを数枚切ってすぐに朱鞠内行きの列車に乗り込む。

深名線は前述に書いた通り、深川から名寄を結ぶため、その両方の名を1文字ずつとって深名線と名付けられた。しかし、その全線を通しで走る列車は一本もない。

深川駅から78.8km離れた朱鞠内駅で名寄行きに乗り換えることになるが、朝晩の2本は名寄行きとの接続があるが、今回乗り込む列車には接続便が設定されておらず。今回は朱鞠内までの往復乗車だ。

乗り込んですぐに構内放送で、同じ深川駅を出発する留萌本線との乗り間違いの注意喚起を繰り返していた。


正月4日ということで、帰省や買い物に出かけた乗客でそれなりに車内は賑わっていた。それでも乗車率で言えば3割ほどだろうか。

1985年、同じく廃止間近の正月に乗車した湧網線が旅人や沿線住人で立ち客が出るほどの混雑ぶりだったことを思うと今回の深名線は落ち着いている。




深名7

そんな乗客たちも殆どが幌加内駅までで降りて行った。何と車内に残ったのは、私と女房、そして1人の中年男性の3人だけ。しかし、幌加内駅を出発した時に問題は発生した。




深名8

何と、その残った中年男性は留萌本線に乗りたかったのに間違えて深名線に乗ってしまったことが発覚する。

ワンマン運転でなく、車掌も乗っていたため、そのやり取りを一部始終聞いていた。

深川駅で出発時は前夜の深酒と心地よい車内の暖かさで寝入ってしまい、留萌本線との乗り間違い放送を聞いていなかったそうだ。車掌は慰めながらも、ここからでは朱鞠内駅まで乗って折り返すか、次の政和駅で降りて、この列車の折り返しを待つかのどちらかしかないと説明する。


当然のことながら、どちらにしても寒い駅舎で長時間待ちとなる。私ら旅人ならそれを覚悟の上で待ち続けられるが、一般客にとってはとても苦痛だろう。結局運賃の問題もあり、その乗客は政和駅で降りて行った。




深名10

深名11

それまで吹雪く区間も多い中、終着の朱鞠内駅では時々太陽が顔を出すような曇り空。もちろん降り立ったのは私ら二人だけ。駅員はいないが、列車の乗務員が待合室のストーブに火を入れてくれたおかげで寒さに耐えることができた。


無人の待合室とは対照的に駅前には人が数人。それはSTV(札幌テレビ)のスタッフで、深名線の取材だという。他に乗客の姿なく、取材対象にされてしまった。カメラの前で緊張こそしないが、寒さで顔がひきつる。

横浜から夫婦でわざわざやってきたということで、テレビ側としては良い画が撮れたようだ。

実際それがテレビ放送されたかは、知る由もないが。




深名13

朱鞠内駅12時58分着。折り返し深川行きは14時29分発。

列車の乗務員は、積雪やレールの状況などを確認していた。保安員も兼ねた状況のようだ。


まだ地方にコンビニなど複数ある時代ではない。非常食は持っているが何か飲食店がないか街を歩く。閉ざされた家ばかりだが、奇跡的にも万屋的な店が一軒空いていた。そこの店主にお茶を入れてもらい、購入したパンを食べて昼ごはんとした。




深名12

朱鞠内から先、ここから名寄方面はますます何もないことを知っている。人造湖である朱鞠内湖畔でテントを張り、そこから深名線沿いに名寄まで自転車走らせたのは何年前だろうか!?  とにかく何もなかった事と、湖畔駅の板張りの駅に驚いたことはよく覚えている。


テレビの取材や万屋での時間で列車待ちの1時間半はあっという間に過ぎて行った。

再び折り返し列車で深川に戻るだけだが、とても濃密な時間が過ごせた深名線の旅だった。

もちろん、乗り間違えた中年男性も無事に政和駅から乗り込んできた。


                             [1995年1月乗車]



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