旅からす本館 日本をもっと楽しもう!!

butobosoと申します。 ヤフーブログ停止に伴い移行しました。自転車趣味を中心にライフスタイル全般ならびに旅日記をお届けします♪

自転車、鉄道、オートバイの手段で日本中を旅して30年以上。本土のみならず、北は礼文島から南は波照間島まで様々な土地を旅してきました。 分割ながら、自転車による日本一周を30代で終えました。 旅人宿であるユースホステルには300泊以上宿泊しました。 自費出版で「旅からす」なる旅の本も不定期に発行しています。 子育て真っ最中なので、中々旅には出られなくなりましたが、身近で小さな旅を楽しみながら、家庭崩壊にならない程度に多彩な趣味を楽しんでいます♪

以前、名無しでコメント入れる方の中には、
私がロード嫌いなどと思われている方も居ましたが、
とんでもありません!!
嫌いなのは昨今の浮かれた自転車ブームであって、
特定の車種嫌いなんて事は全く無く、自転車は何でも大好きですから~♪

さて、タイトルですが、
ワッコといっても「島崎和歌子」さんではありませんよ(汗)。
自転車界の「ワッコ」と言えば、日本女性初のオリンピック選手となった
昭和の名レーサーの『阿部和香子』さんの事であります。

1984年のロサンゼルスオリンピックは、女子ロードレースが初開催。
当時、日本の女子層は薄かったものの、出産で一線を退いた吉田八栄子に変わる
トップレーサーとして育ったのがワッコでした。

私よりずっと年下だったようなイメージでしたが、学年で2コ下でした。
スケート競技から自転車に転向ながら、才能あったんでしょうね。
あっという間にトップレベルに上り詰めて、オリンピック代表に選ばれるのです。

18から競技に参加し始めた私ですが、どちらかというと……

イメージ 1

今も変わらぬ、こちら側の自転車スタイルの方が似合っていたようです(笑)。

それでも、何度か入賞レベルの走りをする事もあったんですよ。

イメージ 2

どちらも88年だったと思います。
当時の競技は当然ながら20代がメイン。
10代の若者も多数ロードレースに参加していた時代です。

現代のような仲間と和気藹々イベントと違って、
チームメートすらライバルのガチンコロードレース!!

あぁ、いかん、また脱線話が増えてしまうので話しを戻します(汗)。

上記写真のレースに出走後、実業団のトップクラスのレースを見学。
しかし、レーススタートしてすぐに集団落車が!!
その中には、ワッコも含まれていたのです。

イメージ 3

助けてあげたいけど手を出したら失格になってしまいます。
この頃のワッコはサンツアー所属。
ジャージにはサンシンのロゴが入っているのも懐かしいですね。

レーサーのパーツはもちろんシュパーブプロ。
当時の最新型である3型のシュパーブプロで組まれています。
※私は金がなく旧型の2型を使い続けていました。

ただし、当時主流になりつつあったビンディングペダルは使っていません。
シマノと提携関係にあったルックのベダルは使えないし、
まだサンツアーがタイム社と提携を結ぶ前でもあったのでしょう。

使われていたのは、シュパーブプロのトラックタイプのペダルでした。
コレ、私も同じく愛用~♪ 何故か親近感が!!

イメージ 4

実は、ワッコにとっては、辛い時期でもありました。
鈴木由美子を筆頭に、強力なライバルが次々現れた時期でもあったのです。
トラック競技ではまだトップレベルでしたが、
ロードレースでは勝てない日々が続いていたのです…。

比べてはいけないですが、私もこの頃、自分の競技限界を感じて、
本格的なロードレースからは身を引こうと思っていた時期でもあります。

この数年後、サンツアーのレーシングチームは消滅。
そして、会社そのものまでもが無くなってしまいました。

ワッコの出場した1984年ロサンゼルスオリンピック、
男子ロードに出場したのは「高橋松吉」、
ワッコが女子初出場なら高橋は、1964年東京オリンピック以来の
自転車ロードレース出場選手だったのです。
そして、彼もまたサンツアーとは関わりが深かったのです。

この頃のサンツアーってやっぱり凄かったですね。
中野浩一の世界選手権スプリント競技10連覇もサンツアー機材でしたし♪
※正確にはシュパーブのトラック製品の製造は他社なんですけど(苦笑)。
申し訳ありません。まだ体調が万全ではありません。
本日はコメント欄は空けておきますが、
返事が遅れ気味になるかもしれません。
ご容赦ください…。

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