夏旅レポートを差し置いてUPいたします(笑)。
続々発掘される古い趣味雑誌と購入記憶の消えたパーツ群。

何だか妙なロングケージのメカが出て来ました。
それはカタログでしか見た事のない幻のシュパーブGT!!
マイティのトリプルクランク等と共に出て来た品は、
20台後半にツーリング車を組むために購入したモノでした。
色々パーツを集めたものの完成したのはセマス・スポルティーフ。
フレーム製作はTOEIとなります。

色々迷った挙げ句、駆動系は当時最新のデュラ7403でまとめます。
当時から古いパーツは好きですが、最新パーツにも目が行きます。
8速SISを組み込んだツーリング車は当時としては珍しかったです。
発掘した古いサイスポにはこんな珍品メカを搭載したMTBの広告も。

なんとプーリーが3つも取付けられたサンツアーXCメカ。
このシステムはトライプーリーと呼ばれ、
ロード系メカ(サンツアーarx)にも採用。
てっきりサンツアーの野心作として開発されたと思ってましたが、
この広告を読むとカワムラサイクル主導で作られたようですね。
MTB創世記に近い頃は、サンツアーから色んな珍品メカが売られます。
グランテック改め、シュパーブテックのシールドメカもその一つ。
どれも成功したとは言えませんが、
サンツアーに勢いがまだあった証拠でもありました。

この時代、この手のオールドツーリング車は誌面から消える一方。
アルプスとペガサス、どちらも消えたブランドですが、
今でも愛されているブランドがどちらであるかは、
過去の私のブログで報告済みです(苦笑)。
☆
当時のサイスポは整備本やオールパーツカタログの他にも、
こんな別冊がたくさん発売されていました。

そんな誌面をパラパラ眺めていると、ありました!!

19歳の私が投稿した長野・権兵衛峠のツーリングレポート。
まだ外装メカを使っていた8氏のケルビムパスハンが懐かしい。
この時は、二人揃ってメカトラブルを起こしながらも、
権兵衛峠から姥神峠を経て木曽旅情庵YHで1泊後、
翌日は鳥居峠旧道を経て輪行帰宅となります。
悪路林道国道としてサイクリストには愛された権兵衛峠。
今は峠下を長大トンネルが貫き、旧道は入れなくなったそうです。
路は利用されなくなると廃道になるのは仕方がないですが、
そこを好んで走るサイクリストを拒むように、
立ち入り禁止とされるのは悲しいですよね。
☆
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コメント
コメント一覧 (20)
プーリー3つはまったく記憶から消え去ってるけど、これを見ると昨今の大径プーリーがキャパシティを稼いでるっていう理屈が分かるね。
権瓶峠と姥神峠は信州らしいツーリングで楽しかったね。大きな峠と山道の小さな峠。対照的だけどそれぞれ思い出に残る場所だったよね。
この時のケルビムは唯一の泥除け付き。姥神峠の下りで曲げたことと、やっぱり鈍重な走行感から以降は外しっちゃった。
butoboso0217
が
しました
MTBには、疎いのですがカワムラ・ニシキで3プーリー出していたんですね。
サンツアーのRD!90年代、MTBブームで入山してトラブル増えた事を思い出しました。アルプスの自転車、いまだよく見掛けますね。
butoboso0217
が
しました
大径プーリーは77デュラのトリプル辺りから一気に普及したけど、あまりケージを長くしないでもキャパ稼げるから見かけはともかくメリットは大きかったよね。
トリプルプーリーなんて考え方は斬新だけどメカ本体に何の工夫もないからその効果は怪しかった。それでもこういうプロトタイプ的なメカが月々と市販化出来たんだから日本の自転車産業がバブルだった証拠かな(苦笑)。
姥神峠も古道としての役目を終えたけど、あの雰囲気がそのまま残っている事は奇跡だね。また元気な内に訪ねたい峠のひとつだね。
butoboso0217
が
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当時のサンツアーカタログには製品ラインナップとして掲載されていませんでした。
でも、市販車での採用では数台見られましたので完全にカワムラサイクルのオリジナルとも違うようです。でも、このアイデアをサンツアーに持ちかけたのはカワムラサイクルなんでしょうね。アイデアと意気込みとは裏腹にすぐに消えてしまったと記憶します。
アルプスがこれだけ愛され続けるのは何故でしょうか!? やっぱりショップ店主の人柄が魅力だったんでしょうね。残念ながらペガサス神金はその真逆だったような気がするんです。
butoboso0217
が
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ここからビッグプーリーに発展して行ったのでしょうか?
権兵衛峠に旅情庵YH、懐かしいです。
大阪発のEF58が牽く夜行急行「ちくま」で松本に。中央東線の乗り換え辰野に。辰野から飯田線の旧型国電で伊那市に。(今なら絶対、写真に収めています!)
そして権兵衛峠を越えて鳥居峠に。これで登りは終わりかと思っていたら最後の旅情庵YHまでの登りが権兵衛峠と同じくらいきつかったのを覚えています。
butoboso0217
が
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果たして効果があったのか?知りたいところです。
butoboso0217
が
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3プーリーは
サンツアーの野心作ってわけでも
なかったのですね。
ニシキ主導でしたか。
アルプスは
大事に酷使(何じゃそりゃ)されている印象。
神金も、仕上げはキレイで いい感じなんですけど、見ませんね。
butoboso0217
が
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3プーリーリアメカの広告、私も当時のサイスポを見返し、今のBIGプーリーの源流だなって思っていました!
当時のNISHIKIはアメリカ市場、MTBが主力でしたので、優位性を確立するため目玉商品として投入されたのでしょうネ!!
10年前ぐらいにNISHIKI復活!の動きがあったようですが・・・かなりの不良在庫が残っていたとの事・・・古い倉庫で直販も行ってましたが、今はその様子も見れなくなりました~
関西圏、いや神戸のサイクリストにとっては忘れられないブランドですから~(悲)
butoboso0217
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カワムラ自転車、阪神・淡路大震災で大規模に縮小したメーカー
で残念です。現在は車椅子生産のみになってしまったようですね。
butobosoさんのセマス、ロードフレーム=SWワタナベ、スポルティーフフレーム=トーエイでしたね。1985年頃、未だサイクリストを見かけましたが、その後は暗黒時代へ突入していきます。
butoboso0217
が
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旅情庵YHは夏でも涼しい高原的な場所でしたが、木曽福島からは上り一方でサイクリスト泣かせでしたよね。ここには3泊していますが夕食はいつも鍋でした。みんなで突き合う食事は楽しかったですが、今思えばアルコールなしでよく平気だったかと(苦笑)。
急行ちくま懐かしいです!! ウチからだと本線の急行アルプスでしたが、関西方面のサイクリストはちくまを利用している方が多かったですよね。改めて旅人にとって良き時代だったと思います。
ビックプーリーへの布石ですが、それはシマノ製品からで、サンツアーはビックプーリーを最後まで採用しませんでした…。
butoboso0217
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この頃は日本の自転車産業が世界一だった頃なんです。この後90年代に入ると徐々に台湾に勢いを奪われていってしまいました(悲)。
思えばオートバイ、自転車ともに日本がトップリーダーだったのに、今では辛うじてオードイ産業だけが世界標準として頑張っていますよね。
3プーリーの効果は怪しかったです。この頃は少しでも他者を出し抜こうと完成度の低い新機構をたくさん取り入れていましたが、現代に繋がるものはごく僅かでしたよ。それでも、そういう事にチャレンジできた時代でした!!
butoboso0217
が
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サンツアー好きの人でも、このメカに飛びついた人は皆無でしょう。
シュパーブテックだって今は高値取引されていますけど、現役当時はショップの不良在庫化していたのをよく覚えていますから。
3プーリーはロードメカ(クロカンレーサー)でも採用されていましたが、その効果は怪しかったようですぐに消えてしまいましたね。
失礼ながら私はアルプスはTOEI製作だったので、きちんと工房構える神金に魅かれたんです。しかし、アフターサービスのあまりの対応の悪さに嫌気がさしました。技術的には確かなものでしたから、勿体無いですよね。ウチのペガサスフレームはまた物入れにしまわれていますよ(笑)。
butoboso0217
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カワムラサイクルと書きましたけど、私ら世代だとカワムラニシキがしっくりきますよね。
ニシキブランド復活の話は私も随分前に聞きました。ミヤタもそうですが、ロードブームによる流れに乗ろうとした古豪ブランドも商売として成立させるには無理があったようですね。ニシキ本流のVIVALOがあるのだから、ニシキのブランドだけを復活させようとしても昔のような輝きを取り戻すのは無理がありましたよね。
神戸のカワムラニシキと町田の日米富士は規模は違えどご当地ブランドとして地元民に愛されていましたよね。どちらも悲運な流れまで似ているような気がしますよ(悲)。
butoboso0217
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日本の製造業は勢い失う一方ですよね。クルマやオートバイだってここで踏ん張らないと他国に主導を握られてしまうでしょう。
自転車は品質よりも価格競争だけのながれになってしまったので国内ブランドがあれだけ乱立していた日本では太刀打ち出来なくなりましたよね。さらに技術まで外国に流出してしまっては……。
セマスはこの手のショップブランドとしては長寿でしたから、フレーム製作は数社に頼んでいたようです。アンタレスは自社工房的な関連会社を持ってましたが、セマスは高品質な工房を数社抱える事で車種も豊富に展開出来てましたよね。
butoboso0217
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シュパーブテックが無かったら雪道走行などというバカなことはやらなかったと思います。コレクターは沢山いるようですが、実使用は少ないですね。
butoboso0217
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何故シュパーブを名乗ったのか今だに疑問です。グランテック名でケチが付いたようですが、最初の発表時はスペースコース100だかを名乗っていたのを古いサイスポで見つけましたよ。できればFDとWレバーも用意して展開してほしかったのです。
シールドメカではないですけど、この思想はサンツアー末期のS-1シリーズに繋がってますね。サンツアーはマウンテックRDなど、シマノよりMTBメカの商品展開も早かったのにそれが販売に繋がらなかったのは残念ですよね。
butoboso0217
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まだ、そのメカを持っていますよ。
グリップシフトとS-1はセットで開発を進めました。
その時から、故河合淳三氏にはお世話になっていました。
butoboso0217
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おはようございます。
3プーリーもS-1も他社のアイデアを受け入れて製品化するのもサンツアーの柔軟さでしょうね。シマノでは考えられない事かと(苦笑)。
S-1はもっと市販車に採用されてもいいメカでしたよね。マニア受けはしませんけど、ビキナー層が安心して使えるお手軽シフトと壊れにくい構造は外装メカとしてはとても優秀だったと思いますよ。
butoboso0217
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85年にこのニシキマウントプロのMTBを買って、今も所有しています。
外では乗っていませんが、ローラー台で時々乗っています。
butoboso0217
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はじめまして。当ブログへの訪問&コメントありがとうございます。
当時のMTBはまだメーカーも手探り状態で、既存のツーリング車の面影を残していましたね。今のMTBはメカメカしくて好みませんが、80、90年代のMTBは今更ながら惹かれるものがありますよ。
ローラー台とはいえ、まだ活躍されているようなので何よりです。当時の現車も貴重になりましたね。
butoboso0217
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