我が家に眠るサイクルスポーツ誌を発見しました!!

1975年1月号です。
これを入手した経緯は忘れましたが当時の私は10歳。
既に自転車で半径20km圏内を走り回っていましたが、
まだ本格的に自転車趣味ではありませんでした。

こんな時から丸石エンペラーのラインナップは豊富です。
さらには当時のヤングサイクラーの凄い事!!!!

スズキの自転車広告もありました。
この当時、意外や4サイドのキャンピング車は少なく、
輪行スタイルのライトツーリング車が目立ちます。
10万以上の市販車は少なく、高級車が8万前後。
ビキナーから中級者用は3~6万程度。
フレーム素材もハイテンが主流ですね。
マエダ工業(サンツアー)の広告に目を奪われます。

名作初代サイクロン変速機の新発売。
しかし、その製品写真のFDが見た事の無い形状。
メインボディは変わりませんがメインプレートの形や
デザイン意図が中途半端に見えます。
この製品が実際に市販されたのか!?
サンツアーシュパーブFDの幻の初期型は市販後回収と聞きます。
それでも時々品が見つかりますから納得ですが、
このサイクロンFDは見た事がないのです。
大ベテランの方ならそちらの事情を知る方も居そうですね。
知っている方が居れば情報願います。

こちらは中期から後期のサイクロンメカです。
RDは数回変更されているようですが、
FDに関してはメインプレートの形状が若干異なるものの、
殆ど変更のないままマーク2に移行したと記憶します。
【関連記事】
サンツアーシュパーブ歴代FD
http://butoboso0217.livedoor.blog/archives/799467.html
サイクロン&シュパーブFD
http://butoboso0217.livedoor.blog/archives/581669.html
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コメント
コメント一覧 (24)
この表紙の号はとても懐かしいです。
私は中学生でしたけど、こんなニッカーと革靴のツーリングスタイルに憧れました。
もう45年も前ですか(汗)。
エンペラーの広告の面々も、爺さん婆さんでしょうね(笑)。
butoboso0217
が
しました
私がサイスポ誌を最初に買ったのは76年11月の臨時増刊号~
75年は流石に守備範囲外ですが、こんなサイクロンFD見た事ありません(驚)
ガイドプレート以外にも取付ボルトが六角のマイナス頭、スパート等と同じモノみたいな・・・ワイヤー止も違って見えますネ!
butoboso0217
が
しました
表紙の写真には違和感ないのですが、エンペラーの広告は!?
何だかヒッピー的スタイルに見えます。当時はこんな姿のサイクリストが居たんですかね(汗)。
この当時、兄はすでにYHを使って日本全国を旅して居ましたが、こんなスタイルとは程遠かったです。
そのスタイルは兎も角、この時代からエンペラーにこれだけラインナップが揃って居たとは驚きなのです。丸石エンペラーは国内市販車で最長寿のネーミングのようですね!!
butoboso0217
が
しました
このサイクロンFDはサンツアー変速機本にも出て居ないです。
シュパーブの最初期型は市場に出回りましたが、このサイクロンは幻の初期型として市場に出なかった!? と勘ぐって居ますよ。
RDの方も重量が213gとなっていますね。180g前後で軽量とされるメカも初期型は重かったようですね。
butoboso0217
が
しました
そのうち、組む予定の三連勝、中期型のシュバーブ。でもプロではありませんけど。
butoboso0217
が
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プロはキャパシティが小さめですから安心して使うにはキャパに余裕ある素のシュパーブが良いでしょうね。
自身ではサイクロンよりも先にシュパーブを取り付けました。お金がなくてWレバーとFDだけでしたけど何だか誇らしかったのです(苦笑)。
butoboso0217
が
しました
小学生ならば
背伸びして本を買ったのでしょうね。
ワタシは中学から買い始めましたが
編集部の軽く見えるノリが好きでした。
小島、松本編集部員が特に(笑)
butoboso0217
が
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45年前!! もうそんなに時間は流れたのですか~ うひょ~~ 年取るわけだ~
うちの先輩がクラブを作ったのがそのころじゃないかな~ 昔のクラブ写真みていると ベレー帽被ったり 長髪だったりだけれど ニッカーボッカースタイルです。(いまだに現役で走っているので すごいです こんどキャンプにも参加してくれます)
私もニッカー履いて 北アルプスに初めて登ってます。
QRクイックレリーズって アルプスの専売特許かとおもってましたが そうではなかったのですね。
自転車に乗るのはまだ これから あと3年後です。
それから こんなに長い時間乗り続けるとは 考えても見ませんでした。
butoboso0217
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松は人気ありましたよね。
何故編集長にまで上り詰められなかったのか…逆に人気のなくサイスポを荒らしまくった人がサイスポとバイクラの編集長ですからね(苦笑)。
この75年のサイスポではまだ読者参加型ではありませんが、80年代に入ると20歳未満の読者が一気に増えて面白くなりましたね。それも85年ぐらいまででしたが。
butoboso0217
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昔が昔に思えなくなってしまうのも老化現象ですかね(汗)。
この頃の流れとしては、中学生で自転車に目覚め、大学のクラブなどで一気に弾けて社会人なってまで自転車趣味を続ける人は少なかったように思います。
長い休みが取れなくなって自転車旅が出来なくなるのも離れる原因だったでしょうね。
今は再びリターン組で盛り上がってますけど、この先が心配なのです。
アルプス方式って名乗るものもありましたけど、他社でも似たような方式を使ってますよね。この頃は輪行サイクリング車の広告が多いです。
butoboso0217
が
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僕がサイクリングデビューしたのが、1975年9月になります。
うちにあるサイクロンFD、鉄のプレートですが、広告に出ているのは
NGになったアルミのプレートでは?チェーンで削れてしまうFD。
butoboso0217
が
しました
最後の昭和40年代としては、私がろくにしゃべれなかった頃の雑誌、興味深く拝見しました。
FDやRDは、現在のものとは根本的に構造違う、とかはないですね。当たり前かもしれませんが。ただ動作とかはZ1とZ900RSぐらい違うのかも…
あと、スズキの自転車の名前が「サベージ」というのは驚きました。80年代にスズキが世に放った大傑作シングルアメリカン(オートバイ)と同じお名前(笑)。あれの650を近所のおじさんに借りて乗ったのが、私の初の大型二輪です。商業的大失敗車だった記憶がありますが、乗ると良いバイクなのです。高速道路を使わないのんびり旅にでるなら、最高の一台でしょう。
脱線しました、すみません。
butoboso0217
が
しました
わたくしめが11歳になって間もなくの頃のサイスポですなぁ。
あの頃は重たい5速の黒のジュニアスポーツのリアキャリアに
黒いビニール製のパニアバッグをつけて走ってましたよ。
しかし鈴木も自転車を作っていたんですね。
OEMではなくて鈴木製なのかが気になるところですけど、エンペラーのランドナーを買った身としては丸石の広告も気になります。
できれば今度アップの写真を掲載していただけると助かります。(笑)
でもあれですね、サンツアーはいろいろほじくり返せばそんなレアな製品がいっぱい出てきそうな予感がします。
butoboso0217
が
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butoboso0217
が
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おはようございます。
この75年前後に本格的な自転車趣味に入り込んだ少年たちが今のベテラン層を支えて居ますよね♪
この号ではサイスポ編集部で組んだ自転車をバラして紹介しているのですが、RDはサイクロンなのにFDは別のモノを使っています。サイクロンも初期発表モデルに何らかの欠陥があったのかもしれませんね。
butoboso0217
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おはようございます。
この時代より前は変速機の構造も古いものでしたが、この頃に発売されたモデルは現代パーツの構造の元になっているので大きく変わって居ないのです。オートバイに比べてシンプルな部品構成の自転車は40年も前からあまり変わって居ないのです。ただし素材はカーボンが増えて大きく変わりましたけどね。
サベージ、よく気がつきましたね。コレ自転車が先だったのです!!
スズキはハスラーを四輪名に使った時にすごく違和感がありましたよね(笑)
butoboso0217
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おはようございます。
この頃はドロップハンドルの本格的なサイクリング車は高嶺の花でしたよね。
私はカゴ付きのミニサイクルでしたよ。それでも遠くに出かけるのが楽しかったです!!
この頃はヤマハ、ホンダ、スズキ3社が何らかの形で自転車業界に入り込んで居たようです。それだけ自転車業界の成長に魅力があったんでしょうね。
エンペラーって80年代に入ってからだと思ってました。ここまで歴史のある社名とは驚きですよね。この頃はキャンピング車はまだラインナップされていなかったようです。
butoboso0217
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おはようございます。
初期の頃のサイクロンのアウターレス&ガイドプレート内側の形状が違うタイプは今でも時々見かけます。しかし、この広告の品は……!?
私的にはRDもFDも刻印部分がブラック化されたものが好きでした。初期モデルはこの部分はシルバーのままですね。
サイクロンは83年ぐらいまでカタログに乗ってましたから長寿モデルとしていろんなバリエーションがありそうです。
butoboso0217
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サイクロンは今までにないスタイル、仕上げでありながらリーズナブルな価格で貧乏学生の当方でも買うことが出来ました。
スズキのツーリング車ですが、多分、丸紅山口のべニックス101のOEMだったかな?と思います。
当時、ヤマハやホンダは、フランスのモトベカンやプジョーの日本代理店として扱っていました。
butoboso0217
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スズキのサベージはベニックスのOEMですね。
butoboso0217
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貴重な資料ですね。
サイクロンFDは後期型しか知りません。
しかし、サイクロンFDはバンドがヒンジのところから壊れます。
まるで、ユーレージュビリーのように・・・
butoboso0217
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おはようございます。
先輩サイクリストにとってはこの頃のサイスポやニューサイが良き参考書だった事でしょうね。私にとってはまだ背伸び以上の存在で広告を苦めてニヤニヤしているのが精一杯でしたよ(苦笑)。
オートバイメーカーは自社工場を持つまでには至らなかったようですね。プジョーの代理店を時期は違えど本田とヤマハが行なって居たのは有名ですよね。本田に至ってはクルマ産業つながりの優位性を保ちたかったのかもしれませんね。
ちなみに私が中学時代3年間乗って居たのはトヨタ銘柄の自転車でした。もちろん何処かのOEM製品です。
butoboso0217
が
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おはようございます。
当時の開発者の逸話ありがとうございます。サイクロンメカは当時としては無駄肉を削ぎ落としたスタイリッシュで画期的なメカだった事でしょう。その後80年代後半まで生産が続けられて居たのも驚きですし。
この時代のデュラも使った事がありますが、サイクロンに交換してしまいました。
スズキの自転車は他の方も仰る通りOEM車だったようですね。この頃は子供ながらに似ているなぁと思ってもOEMという発想すらありませんでした(苦笑)。
butoboso0217
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おはようございます。
このFDは実物どころか他の画像も見た事がありません。幻のシュパーブFDとは違い、市販されずに終わったプロトタイプなのかもしれませんね。サンツアーって市販前のプロトをフライング気味に告知することが多いメーカーでもありましたしね。
バンドのヒンジ、同じタイプのシュパーブで壊れましたよ。強度不足だったようですね。
後のクランプバンドはもっと壊れやすかったですけどね(汗)。
当時は軽量化最優先の風潮があったので仕方がないのかもしれません。
butoboso0217
が
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