本日家族は全てお出掛けし、静まり返った自宅で外に出たくて悶々としながらも仕事を進めています。
午前中にまとめる仕事を終わらせて、昼からビール飲みながら冷凍チャーハンをチンして食べました。
午後からの仕事前にこの記事をまとめています。
本来ならば真冬に載せるべき記事なのですが、ご容赦ください。
若い頃、冒険心と行動力が伴っていたのは、みなさんも同じでしょう。
家族に縛られることなく、自由に思ったことを行動に移せたのも10代後半から20代の頃。この頃は、稼いだ金は自分のためだけに使えましたから、冒険心と行動力だけでなく、財力も伴っていたのです。
20歳の頃、自転車はもちろんのこと、冬はスキーによく出かけていました。ところが、大混雑するゲレンデに嫌気がさし、レンタルのXC(クロスカントリー)で一人ゲレンデ外を歩き滑りまくっていたものです。
もちろん仲間の殆どはゲレンデスキー(アルペンスキー)で満足していたのですが、私同様に親友8氏もアルペンスキーに魅力を感じず、テレマークスキーを購入して滑っていました。8氏は大会に参加するほどハマり、冬は自転車よりも毎週スキーに出かける状況。
それに引きずり込まれるように、私もレンタルのXCスキー道具では満足できずに、カルフのテレマークスキー(ヘビーツーリング仕様)一式を購入します。
そして、8氏と意気投合し、真冬の北海道をXCスキーで歩いて旅しよう!! となったのです。
今思えば計画も甘かったし、積雪情報だって事前確認が出来ませんでしたから、勢い任せの無謀な挑戦だったのかもしれません。当時23歳。若さからのチャレンジでもありました。
☆
年の瀬に近い12月28日、東北新幹線で盛岡入り。そこから特急はつかりで青森へ。青森から札幌までは寝台車がまだ接続されていなかった頃の急行はまなすで一夜を過ごし、札幌へ。
そこから更に特急おおぞらで釧路に向かいます。
青函連絡船から解放され、列車で道内入りできるようになったとはいえ、大変な行程でした。
もちろん寝台特急北斗星に乗れればラクができましたが、1ヶ月前の早朝にみどりの窓口に並んでもキップは購入できなかったのです。
約30時間ぐらいかけて、釧路に到着。そこから阿寒バスに乗車して阿寒湖へ。
翌日は阿寒湖(阿寒エンジェルYH)から冬季閉鎖の国道241号をXCスキーで滑り歩いて、摩周湖YH(弟子屈町)へ向かう予定でした。
昨年同時期もこの辺りを鉄道とバスで旅していたので積雪量は頭にあり、計画を練ったつもりだったのですが、この年は道東の積雪量が少なく、阿寒湖に着いても雪がほとんどありません。
スキー歩き初日から計画は大幅変更。摩周行きを諦めて、仕方なく、阿寒エンジェルYHで連泊。近くにある阿寒国際スキー場でゲレンデを滑り、阿寒湖周辺を歩き回ることで時間を潰すことになってしまいました。
大晦日。阿寒湖からバスで釧路に戻り、そこから釧網本線・標津線を乗り継ぎ、根室標津駅下車。昨年に続き、2年連続で年越しを過ごす尾岱沼YHに向かってXCスキーで滑り始めます。
距離は15kmほどしかありませんが、夕暮れ迫る時間帯なので油断できません。
道は国道244号を進むだけなので迷うことはありませんが、先行する荷物を必要最小限に絞り軽量な8氏に着いて行けずに差は広がります。
私は何が起こっても大丈夫なように荷物を増やしすぎたため、60リットルのアタックザックがパンパンに膨れ上がり、転倒すると、ザックを一旦外さなければ自力で起き上がれず。
そんな横をYHに泊まる旅人を乗せた路線バスが無情にも抜き去って行きました。
YHまで残り3kmほどの場所で今年最後の太陽が沈んで行きます。向かい風は強いし、小雪も舞う中、YHのある集落が見えた時には、とても安堵したのをよく覚えています。あと30分遅ければナイトランを強いられるところでした。
昨年同様、尾岱沼YHの年越しは青少年の宿とは似つかわしき酒盛りの宴会状態。この頃のYHはすでに20歳未満が泊まっていることは稀であり、飲酒解禁されたYHも多かったです。
ホステラーの大半は昨年と同じメンバー。バスの中から馬鹿な連中がXCスキー滑らしていると思って見ていたら、お前だったか!! なんて笑い声も上がります。
ベロベロに酔いながら除夜の鐘を聞き、近くの神社へ初詣。そして3時間ほど仮眠を取って、みんなで尾岱沼から登る初日の出を拝むのでした。
そして、連泊するものに見送られて、根室標津から今はなき標津線に乗り込みます。楽しかったなぁ。前日はスキーで滑り歩き、深酒で身体はボロボロなのに、ケロっとして要られたのも若さの証拠。
帰り際の車内で、一人の女性ホステラー(右上写真)から、あなたたち(私と8氏)と去年も会ってたよね、と指摘されます。
何と、前年秋に長野県の立科白樺高原YHでも一緒だった彼女でした。私と8氏との名前の呼び合いで、疑念が確信になったようです。よくぞ覚えていてくれました♪
この時代は、YHを使って旅するホステラーとの再会劇は度々ありましたが、この女性とは長野と北海道で偶然にもご一緒となった訳です。
来年もまた、大晦日に尾岱沼YHにみんなで集まれたら良いね!! と話す一方、標津線はこの4ヶ月後に廃止になること。そして、それに合わせて尾岱沼YHも閉館するかもしれないとの寂しい現実。
尾岱沼YHに泊まるのも、標津線に乗るのも、この時が最後となりました。
元日は小清水YHに泊まり、翌日は濤沸湖対岸にある原生花園YHをXCスキーで目指します。
この日は朝出発して、13km程度の距離ですから余裕があります。
雪原でコンロを使って昼ごはんです。
インスタントラーメンとYHで作ってもらった握り飯。食べている途中でラーメンは凍りかかり、再びコンロで温める(笑)。
それでも昨日とは違い、日暮れに追われることなく、のんびりできました。
濤沸湖の白鳥たちを眺める余裕もあります。再び雪が舞ってきましたが、15時過ぎには原生花園YHに入ることができました。
辛くとも楽しかったXCスキーの旅もいよいよ最後。
札幌行き特急オホーツクに乗り込む前に腹ごしらえ。普段は小食な8氏が、味噌ラーメン食べた後に、追加でチャーハンを頼んだのは今でも衝撃的な思い出です(笑)。
帰路も行き同様に、札幌から急行はまなすと特急はつかり、東北新幹線利用となりました。
座席夜行で寝られず、後に続く鉄道嫌いになった8氏の鉄道苦手意識の引き金を招いてしまったようでした。
武勇伝といっては何ですが、8氏と二人で色んな事をやってきました。
お互い還暦も近づき、昔のような無茶な事は出来なくなりましたが、健康である限り今後も一緒に遊ぶことは続くでしょう。
仲の良い二人と思われている方も多いでしょうが、実はよく喧嘩もするのです。でもお互いを尊重し合う仲ですから、そこで縁が切れることはありません。それは今後も同じく。
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コメント
コメント一覧 (22)
雪降る湖、白鳥の写真が印象的です。8氏、リカに乗っているイメージです。
銀塩写真良いですね。データじゃないから残りますね。
79年 新車BSダイヤモンドに跨り、奥武蔵グリーンラインで自分で撮影したカラー写真が色褪せなくアルバムに入っています。因みにキヤノンFT-b FD50㎜単焦点レンズで撮ったものです。僕は、あと1か月で還暦になります。
butoboso0217
が
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おはようございます。
北海道の白鳥に限らず、この数年野生のハクチョウも見ていないのです。
雪国の旅に出たかったのですが、今冬もダメでした(悲)。
8氏はリカンベントに、私はミニベロに。お互い好みの自転車が分かれましたが、一緒に走るときは相変わらずパスハンターなのです♪
フイルム写真も劣化で色あせてはしまいますが、残り続けますよね。この時のカメラはキヤノンT90だったと記憶します。レンズはNFD28-55mmだったかなぁ。
butoboso0217
が
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いや、これはすごいですね‼️
冬の北海道の旅は格別ですね。
しかもスキー🎿
さすがです。
今でも初日の出を宗谷岬で見る、みたいなライダーたちはいるのでしょうか。
昔VF400F(書いていて懐かしいです)で真冬の北海道に行った方がいましたが、吹雪くと5km/日、なんてこともあったようです。
また苦労も違いますが、SNSも携帯もなかった時代の旅は、今よりも鮮烈な思い出の気がします。
butoboso0217
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butoboso0217
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いやぁ~、これこれ。この時の記事はずっと待っていたんだ。俺は記憶が断片的でここに書いてある半分以上を頭から消失しているからね。
お互い若かったよね。行動力もそうだけど、動いているからとはいえ着ている服が北海道らしくない (^^;
全行程でいい思い出だよ。鉄道嫌いはこれが発端ということじゃないんだ。はまなすで寝れなかったのは辛かったけどね。
これからも時間が許す限り一緒に遊ぼう!
butoboso0217
が
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butoboso0217
が
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冬の北海道をスキーで旅するなんて考えましたね(笑)
写真から高校の頃でしょうか?
私も先日御紹介させていただいたGT4は高校時代からの腐れ縁ですからもう半世紀近くになりますが若い頃は他の級友もつれだって良くスキーや旅行に出掛けていました。
その後結婚や就職で彼だけになり久々に会うとその日は昼間から日付が変わるまで飲み明かしていましたが最近はLINEや無料電話で頻繁に連絡を取り合えしまうため会う回数も減っています
butoboso0217
が
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こんにちは。
先ほどまで東京マラソンの中継を見ながら仕事していました。この1週間走れてないので今日は夕方から走ろうと思っているのですが雨が降ってきそうですね。
逆に若い頃はランニングもしないですし、ミニベロでロングツーリングなんて考えも無かったです(笑)。
宗谷岬のバス停で年越しする旅人は今でもいるみたいですよ。ただ、それも中高年が多いみたいですが。たぶん、今の50、60代が一番馬鹿な挑戦に挑んでいたんだと思います。情報過多の現在は行き当たりばったりを楽しむ旅もしにくくなりましたよね。
butoboso0217
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こんにちは。
学生の頃は時間もありましたから、鉄道料金の掛かる輪行もあまりせずに自走に拘っていましたが、社会人になると輪行なしは考えられなくなりました。たぶん、自身は普通車免許を持たなかったのも大きいのでしょう。
早くからクルマに乗り出す人は、輪行でなくカーサイクリングになってしまいますしね。たぶん、ぱぱろうさんと私は同じ思考で、クルマの渋滞が大嫌いなので、時間通りに移動できる輪行がベストと考えますよね♪
butoboso0217
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お疲れ〜。
画像は揃ってたけど、中々記事をまとめるチャンスがなくて遅れちゃった。
あの頃は勢いで何でも出来ちゃったよね。自転車が趣味の中心にありながらも他の遊びも積極的に取り入れていたしね。でも、基本みなアウトドアスポーツだよね。
やっぱり若い頃に色んな経験を積んで行くことが大きな財産になるよね。そして、YHは色んな個性の持ち主と出会えたのも良かったね。
当たり前なんだけど、今は家族を守るためにも仕事が全ての最優先になっちゃって、毎年同じことを淡々と繰り返しているだけになっちゃったなぁ。
butoboso0217
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こんにちは。
当時の北海道は若い旅人がたくさんいて、真冬でもオートバイや自転車で旅している人がいました。そんな中でXCスキーで歩いて旅という発想は、誰もやったことのない事をしてみたいという冒険心でもありました。それまでに信州で山小屋泊まってXCスキー歩きなんかもしていたので、何とかなるだろう、なんて軽い考えがあったのも確かですが(苦笑)。
butoboso0217
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こんにちは。
すでに20代半ばの頃の体験です。高校生の頃は金がなくて北海道には渡れなかったのです。社会人になり、金に余裕があった頃の無謀な挑戦でもありました(笑)。
私ら世代はスキーバブルも体験していますよね。毎週日曜午後はスキー帰り渋滞。ゲレンデ到着してもリフト待ち30分以上。それでもみなスキーしに出かけていましたよね。
そんな経験を共にした若い頃からの友人は大切にしたいですよね。私もようやくLINEで友人たちと繋がるようになりました。
butoboso0217
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自分も昔はチンタラと鉄道で道東へも行っていました。
いつの間にか時間がなくなり、2泊3日で道東旅行とかになり、「旅」らしさがなくなりました。
遠くまで行っても、日常の延長線上のような感じです。
そう言えば北京で会った旅人と昆明で再会し、さらに翌年インドで会ったなんてこともありました。
昔は旅で思わぬ出会いがありましたが、今は個室のホテル泊で人との出会いもなくなりました。
旅に関しては、歳とともに失っていくものが多くなったと思います。
butoboso0217
が
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ワタシも友達に教えてもらって
クロカンちょっとやりましたが
体力がなくて挫折しました(汗)
若かりし頃の
今思えば 無茶な旅も
「しょーがねーな」と助けてくれた
多くの人がいたことに後で 気がつくのでした。
多少の無茶(無礼ではない)しての失敗が
許されるのは 若さの特権ですね。
ワタシもまた 辺境の旅をしたいですが
10年後ですかね 体力あるかな(苦笑)
butoboso0217
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30年前とは思えない!寒冷期、寒冷地なのに~
若さが発する熱い想いをリアルタイムみたいに感じました!!
その当時を思い返しますと~
鉄道、飛行機利用の時は輪行バックと4日分の荷物を持って移動していました!
「旅」ではなくあくまで移動!
唯一!揺れる飛行機を嫌った後輩に付き合い、青森から寝台特急で帰ったのが今でも忘れない思い出かな~
4日間の拘束から解放され、成績も良かった事から夜行列車旅を堪能!!
気付けば明け方!富山駅でした(笑)
今年、還暦を迎えます!身体は無理できませんが、熱い想いだけは絶やさず!持ち続けたいと思っています!!
butoboso0217
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おはようございます。そしてこちらへのコメントありがとうございます。
昔は飛行機は高かったし、周遊券が格安でしたから鉄道オンリーで道内を旅する人は多かったですよね。私の場合は偏屈者でもあるので、今だに航空機利用で北海道を行き来したことはないのです。でも一昨年利用した函館北斗からの運賃の高かった事!!
●kuromaruさんも若い頃は色んな旅をされたようですね。旅先での再会劇が起こるのって、それだけ似たような旅をしている若者が世界的に多かった証拠でしょう。今同じような旅は出来ませんが、旅心だけは失わずに老後を迎えたいですよね。
butoboso0217
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おはようございます。
この頃は、ニューサイなんかでも冬の自転車に代わる遊びとしてXCスキーが度々記事に出てきた頃でもありましたね。最初は混雑するゲレンデで滑ってましたが、我慢できずにXCスキーを選ぶようになりました。今はちょっと趣向は違いますがバックカントリースキーがプチ流行しているようですね。
oryzasativaさんのところも、まだ子育て最中ですから中々自由に旅する訳にもいきませんよね。でも、旅って若い頃に経験するのがベストでしょう。中高年の親父一人旅だと周りも近づきがたいものがあるでしょうしね(苦笑)。
butoboso0217
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おはようございます。
たぶん氷点下10度ぐらいの中を歩き回っていたはずですが、寒くて我慢できなかった記憶はないのです。当時は寒さに強い方でしたが、今はすぐに足裏に霜焼けできちゃうし、寒さにめっきり弱くなってます。血流が悪くなったと言う事でしょうね(汗)。
完覇さんも仕事とはいえ、全国を渡り回っていた事でしょう。昔は今以上に移動時間はかかりましたけど、それがある意味、気持ちの切り替えできる無駄ではない時間だったと思います。
青森から富山だと寝台特急日本海かな!? 飛行機は早くて便利なのでしょうが、夜行列車は寝ている間に目的地に運んでくれるのですから、飛行機より便利だと思うのですけどね。今時の人は、それが夜行バスなのかな。
butoboso0217
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尾岱沼もゴーカイですぅ、これだけ猛者?がいれば、楠木オバサンもほっといていいワケですぅ、
やっぱ標津線廃止が閉館の主因だったんだぁ、こんな案件が88~89の北海道じゃ多かったんですねぇ…。
・・・住んでたらわっからないもんですぅ…みならいかのん
斜里の以久科に似た写真があったんで、宿泊は「じゃがいも亭」か「トム・ソーヤ」かと思ったんですが…考えてみりゃ冬やってないですよね。
・・・似たような道路が多いから…はじめっちトウフツ湖意外と大変だったです
butoboso0217
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こんばんは。
当時レンタルXCスキーのあるYHやとほ宿も確かにありましたね。今はXCスキーよりもスノーシューの方が雪散歩には人気ありそうですね。
尾岱沼YHの建物はなくなりましたが楠旅館はまだ営業しているようですね。道東も大半のYHが消えてしまい、寂しい限りなのです。
公共交通手段がなくなれば冬の北海道の移動は無理ですからYHのような宿は厳しいでしょう。今や流氷見に行く若者も減りましたしね。
butoboso0217
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北海道は函館の七飯スキー場、札幌のテイネ、富良野スキー場に網走市のスキー場で滑ったことはありますが、分野は違うとは言えさすがにXCスキーで移動ってのは考えたこともなかったです。
冬場の北海道をオートバイや自転車で旅する人はいますが、これはそんな人たちよりはるかに気合の入った旅の形態ですなぁ。
butoboso0217
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おはようございます。
北海道は雪質が違って滑りやすいですよね。七飯スキー場懐かしいなぁ。網走のスキー場はまだやっているんだろうか!? 北海道のスキー場、メジャーなところとマイナーなところは施設が真逆だったりしますが、マイナースキー場は空いていて滑りやすかった印象ですよ。
あの当時は、もはや自転車やオートバイで挑むのは当たり前!! そんな感覚でした。だからXCスキーで挑んだのですが、ちょっと中途半端に終わってしまったのが悔やまれます。
butoboso0217
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