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butobosoと申します。 ヤフーブログ停止に伴い移行しました。自転車趣味を中心にライフスタイル全般ならびに旅日記をお届けします♪

自転車、鉄道、オートバイの手段で日本中を旅して30年以上。本土のみならず、北は礼文島から南は波照間島まで様々な土地を旅してきました。 分割ながら、自転車による日本一周を30代で終えました。 旅人宿であるユースホステルには300泊以上宿泊しました。 自費出版で「旅からす」なる旅の本も不定期に発行しています。 子育て真っ最中なので、中々旅には出られなくなりましたが、身近で小さな旅を楽しみながら、家庭崩壊にならない程度に多彩な趣味を楽しんでいます♪

過去にも何度か取り上げた日米富士自転車(富士サイクル)の最高級グレードのロードレーサー「富士オリンピックRD(ORD)」。今回は年度別モデルが分かりましたので紹介いたします。


なお、日米富士本社は東京都町田市(現在は跡地に町田市役所)にあり、私の住む横浜市北部に隣接する場所でしたので近隣では必然的に富士の自転車を扱うショップが多く、自身の最初の本格的サイクリング車も富士オリンピックOS-15ランドナーでしたから、思い入れあるメーカーなのです。


あくまで、自身の所有する自転車雑誌の中から調べたものですから、厳密ではありませんので参考程度にしてください。


富士オリンピックの最高級ロードレーサーが誕生したのは1977年(昭和52年)。

当時は国産パーツが、ようやく世界のトップクラスに対抗できる水準にまで上がった頃でした。

77年オリンピックORD1

記念すべき最初のORDは定価16万円。

75年に誕生した前田工業(サンツアー )のサイクロン3点変速機、スギノマイティ、グランコンペと当時の国産最上級グレードを組み付けた純国産ロードレーサーとして発売されました。




オリンピック9

オリンピック11

この発売時から一貫していたのは、富士のサイクリング車はシマノパーツはあまり使われることはありません。しかし、このORDのハブだけはデュラエースが使われていました。




81年オリンピックORD2

1981年モデルになると、サイクロンからシュパーブに変速機が変更されます。

カタログモデルには、発売後にすぐに不具合回収されてしまった幻のシュパーブFDが取り付けられていました。定価は17万円。




オリンピック10

オリンピック12

シートピラーは初代共にヒューペルライダー、ハンドル周りは日東製品。ステムにはパールの上級モデルのパールGを採用。

ここでもハブにシマノデュラエース SFQHを採用する以外は、シマノ製品を排除したような組み合わせです。何故シュパーブハブを使わなかったのか!?  OEM元である三信松本との関係が悪かったのかな!?  なんてことを勘ぐってしまいます。




そして日本の自転車産業が世界の頂点に立った頃の1985年モデルのORDはオーダー車のようなクオリティとパーツ構成になりました。

85年オリンピックORD3

変速機は2代目シュパーブプロ 、ブレーキはNGC400、そして驚きのスギノギネスのチェーンホイールの採用です。ORDの定価は24万円となりましたが、このギネスチェーンホイールだけでも価格は11万円。




オリンピック7

スギノとは大人の関係で格安で供給してもらったのでしうが、市販ロードレーサーでスギノギネスを採用したのは富士サイクルでした!!  ペタルにもエアロマイティが使われているのが興味深いのです。




86年オリンピック4

そして最後の富士オリンピックORDとなった1986年(昭和61年)モデルは値段据え置きの24万ながら、ハーツ構成はますますマニアックでオーダー車並みとなりました。




オリンピック5

オリンピック6

変速機にはシュパーブプロの限定モデルであるシルバー&ブラックを採用し、ブレーキは同じく限定販売のロイヤルグランコンペ400のブラック&ゴールド。



チェーンホイールは85年型と同じくスギノギネスを採用。

オリンピック8

エアロマイティのペダルは、当時最軽量モデルだった三ヶ島RX-1(写真中央上部)に変えられています。

なぜか、ORDでは名品で人気の高かったシュパーブプロのペダルが採用されることは一度もありませんでした。

ハンドルステムには日東クリステム2が採用されています。クリステムブルーの名の方が知名度高いですが、このORDに採用されているのはブールではなく、シルバー色というのもマニアックな組み合わせ。


ここまで限定パーツを市販車に採用したのも富士オリンピックORDだけです。

カンバ50周年記念セットを採用したBSグランヴェロも凄かったですが、マニアック的な視線では、この最終型富士オリンピックORDを超える市販ロードレーサーはありません。


富士オリンピック77年式16万円、81年式17万円、85年式24万円、86年24万円。

約10年、たったの10年でしたが日本の自転車産業の最高水準を追求し続けた富士オリンピックORDは、翌年にチタンフレームのロードレーサーとなり、ORDの名前も消えてしまうのでした。


一貫してシマノ以外のメーカーパーツを採用し続け、ORDといえば「Red(赤)カラー」のイメージで販売し続けたのです。

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コメント

 コメント一覧 (14)

    • 1. 完覇!超記録!!
    • 2024年05月26日 15:53
    • こんにちは!
      富士オリンピックRD!
      中学2年生当時~
      一番近くの自転車店が富士系列でしたので、何故かオリンピックシリーズのカタログをもらって、何度も見返した記憶があります!!
      私にとってロードレーサーのお手本みたいな存在でしたネ~
      その頃まだ、私の中にシマノVSサンツアーの意識は芽生えていませんでしたので、国産ハブはデュラエースが最高!と単純に思っておりました(笑)
      今思うと、リムがマビックORO10でしたので、三信の場合アラヤを対に選択せねばならない柵があったのかも知れませんネ!!
      シュパーブFDガイドプレートの違いに気が付いたのは、当時でなく今から10年ほど前~ORDの広告を見返してた時でした(爆)
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    • 2. nobu ^o^♪
    • 2024年05月26日 16:00
    • butobosoさん こんにちは🍵
      日本が輝いていた時代ですね❣️ 日本の自転車メーカーは、今じゃ信じられない程ありましたから…
      私も昭和の時代に、その中の自転車メーカーに勤務。今でもあの会社があるならまた、仕事したいです❣️
      富士サイクルがシマノ製品、ハブしか使わないのは今もミステリーですね💦
      この頃のシマノは、好きでしたが今のシマノは、嫌いでなるべくシマノを使わないようにしてます(笑)
      富士オリンピックが赤で、ミヤタがブルーでしたね📝
      どちらにせよ、日本のものづくりがしっかりしていた時代で、今でもワクワクします❣️
      我々が死んだ後は、日本が日本でなくなるような気がします😓
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    • 3. 釣り人
    • 2024年05月26日 16:19
    • こんにちは。知人でオリンピックが好きな方がいてカタログ見せてもらった事あります。シマノ、もともとハブ屋なので作りが良いと言う話は聞いた事あります。カップ&コーンの時代です。

      自分はBSグランヴェロ2世代目のFRRに乗りたかったんですがエベレストになってしまいました。

      確かにORD、赤いフレーム塗装のイメージですよね。
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    • 4.  butoboso0217 butoboso
    • 2024年05月26日 18:39
    • ★完覇!超記録!!さんへ
      こんばんは。
      少し謎の部分ですよね。あれだけ国産メカに拘っていたはずなのに、リムだけはずっとマビックです。三信ハブにアラヤではダメだったんですかね!? リムに関しては国産を信用していなかった!? とも思えてしまいますよね。
      最終的にはGP4のリムになり、ハブはシュパーブプロになってました。
      今みたいにネットで情報できない時代、あの初期シュパーブは謎の存在でした。カタログで発見した時は???でしたよ。後にショップで回収騒動があったことを知りましたよ。
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    • 5.  butoboso0217 butoboso
    • 2024年05月26日 18:48
    • ★nobu ^o^♪さんへ
      こんばんは。
      フジサイクルはランドナーでもシマノのラージハブ採用でした。最高級車にはデュララージ、私の中級グレードのランドナーは600ラージでしたよ。
      今思えば、この小さな国にあれだけ多くの自転車メーカーがあったことも驚きですよね。オートバイメーカーまで自転車発売していましたし。
      今のロードブームなんかより遥かに国内自転車産業が輝いていましたよね!!

      子供達が将来を悲観するような国になってしまいましたね。我々の時はそれなりに夢があったのに…。これでは恋愛・子育ての流れなんて増える訳がないのです。
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    • 6.  butoboso0217 butoboso
    • 2024年05月26日 18:54
    • ★釣り人さんへ
      こんばんは。
      気がつけば自分の愛車(オーダー車)のハブもデュラエースが多かったです。カセットフリー になったデュラEXは簡単に交換できて有り難かったですし。ボスフリーをバラす手間を考えると先進性ありました。ただ、回転制度はカンパレコードや最終型シュパーブプロが上だと思ってます。今パスハンターで使ってる80年代のカンパレコード、まだまだ使い続けられそうです!!

      グランヴェロもオーダー車並みのクォリティですけど、あの時代はやっぱり小規模工房のオーダーフレームに憧れましたよね♪
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    • 7. 輪行菩薩
    • 2024年05月26日 19:48
    • こんばんは。

      中学3年の時、確か富士サイクルのカタログも持ってましたね。
      当時はランドナーにあこがれていましたが、高校通学のために買ってもらったのがロードマンで私の友人はユーラシアで通学してた人もいました。
      若者がサイクリング車にあこがれたいい時代でしたね。
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    • 8.  butoboso0217 butoboso
    • 2024年05月26日 21:25
    • ★輪行菩薩さんへ
      こんばんは。
      中学生の頃に既に友人がロードマン、フジオリンピックランドナー、ダイヤモンドキャンピングに乗っていて羨ましかったです。私は24インチのジュニアスポーツで彼らと一緒に走りながら、ショップ周りでもらった各メーカーのカタログをクリアファイルのような透明下敷きに入れて学校で眺め回していましたよ。
      当時はクラスに必ず1人は自転車好きがいた時代でもありました。みなガード付き自転車に憧れていましたよね。それを手に入れれば、何処にでも自由に行ける!! なんて妄想していたものです(苦笑)。
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    • 9. oryzasativa
    • 2024年05月27日 08:12
    • こんにちは

      この頃はメーカーさん盛り上がっていましたね

      1982年に友人がグランヴェロをオーダー
      シュパーブ仕様で20万少しだったか。

      セマスやアンタレスのセミオーダーだと
      シュパーブまたはジュラで
      10万円台で組めたのを振り返ると
      メーカーも強気だっなあ、と
      思います。

      似た雰囲気で
      セキネカナディアンロードってのも
      あったが、記憶が定かでないです
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    • 10. pekesuke
    • 2024年05月27日 08:13
    • butobosoさん
      こんにちわというかお久しぶりです。
      SFQRの呼び懐かしいです。最近ではほとんど見なくなったLFQR。QRはクイックリリース、SFはスモールフランジ、LFはラージフランジの組み合わせの記号だったですね。スポークも丈夫になり重量的に有利なSFばかりになってしまい、さらに完組ホイールになりハブの選択も出来なくなりましたが、某マスプロメーカーのロードにノルマンディーLFQRがついていてやはり長穴はカッコ良いなと思っていた私です。
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    • 11.  butoboso0217 butoboso
    • 2024年05月27日 12:04
    • ★oryzasativaさんへ
      こんにちは。
      私のセマスロード、84年製のセミオーダーですがデュラやシュパーブプロ 、チネリやマビックリムで21万ぐらいでしたよ。それを考えると市販ロードの20万超えは割高感ありましたね。とはいえ、この時代の上級クラスの市販車はオーダー車と変わらないクォリティでしたね。

      カナディアンロードは、中級グレードなイメージでしたね。カタログ持ってましたが実家発掘しても見つからず…当時の市販車カタログを集めていたもの全てが何処かに言ってしまいました。捨てた記憶はないので、何処かにまとまってあるはずなんですが(悲)。
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    • 12.  butoboso0217 butoboso
    • 2024年05月27日 12:09
    • ★pekesukeさんへ
      こんにちは。
      もはや今時SFQRって言ってもわかる人は少ないですよね(苦笑)。
      当時のカタログではきちんとスモール、ラージを明確に表示していましたが、今はそれすらも過去の事ですね。ただ、ラージハブそのものは今でも健在ですし、私の快走ミニベロも後輪にだけラージハブを採用しています。
      昔はラージハブの穴の形状まで好き嫌いがありましたよね。私はデュララージやカンパCレコラージが好きなんですが、ツーリスト的には丸穴が一番人気でしたよね。
      ノルマンディラージハブ、ちょっと大人の趣味ツーリング車に取り付けられていたイメージです。80年代になると勢いが無くなってしまいましたよね。
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    • 13. kan
    • 2024年05月27日 22:05
    • どうもこんばんは。
      足の具合が早く良くなるといいですね☺
      当時の自転車は、残念ながら全くわかりませんが、made in Japanの品物が素晴らしかった時代であったことは類推できます。
      自転車も国内生産されているものは今やあんまりないのだと思うと、寂しいですね。オートバイの凋落が激しいですが、自転車もそうだとすると、辛いものがあります。
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    • 14.  butoboso0217 butoboso
    • 2024年05月28日 10:37
    • ★kanさんへ
      こんにちは。
      普通に歩けるようになりましたが、まだ違和感あるのでランニングはダメそうです。
      5月は前半に5回走っただけで終わりそうです。気持ちに体が追いつかなくなりましたよ(悲)。

      日本のモノづくりがダメになったのと自転車産業は同じ流れでした。利益追及のあまり海外工場頼りになり技術流出。オートバイも同じですよね。ガラパゴスな原付(49cc以下)だけは国内生産ですが、他は海外産ばかりですね。モトGPでも全く歯が立たなくなってしまいホンダが最下位争いとは…日本のお偉方は認めないですが、もはや先進国とは言い難いですよね(苦笑)。
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