天気が良いので町田界隈をポタリング。
仕事もオフシーズンに入ったので、ある程度自由時間が取れるようになりました。
先週はランニングを3回するも中々調子は戻らず、逆に右膝がズキズキ……自転車と違って体重が足腰に直に掛かってくるので、怪我の最中による体重増は1kgに抑えられたものの、無理はできません。
気合いで怪我や病気が直せたのは40代ぐらいまで。今は故障のたびに長期のリハビリが必要になってしまいました(悲)。
さて、タイトルの話題。
過去にも何度か触れましたが、東京都町田市には日米富士自転車(フジサイクル)の本社工場が2000年頃までありました。
今はその場所に町田市役所が建っています。
JR横浜線沿いにあり、高校生の時は毎日のように通学で工場を眺めてきました。
ご当地メーカーとあって、町田はもちろん、隣接する横浜市内にもフジサイクル特約店的なショップが多かったです。
中学生の頃には、すでにフジオリンピックに乗る友人もいました。
高校1年の夏休みの大半を全てサッシ工場でのバイトに費やし、私が購入したのも、もちろんフジオリンピックランドナー(OS-15)。
購入したのは、これまた現存しない、町田市内のイトイサイクル。
オールクロモリフレームに、市販車としては当時珍しかったナベックス・コンチネンタルカットラグ。シリカのインフレーターも誇らしかったです。
どんな乗り物であれ、最初の一台は思い入れのある人が多いことでしょう。
私にとっても、本格的なサイクリング車、それまでは親に与えられた自転車でしたが、フジオリンピックは、初めてのバイトで手に入れた大事な愛車、これまでたくさんの自転車に乗りましたが、今でも特別な一台。
三角クロモリの6万前後のサイクリング車が売れ筋だった時代に、ワンランク上のオールクロモリフレーム車は誇らしかったです、←自己満足、ただしオーダー車への憧れも同時に湧き上がる(苦笑)。
クロモリでもノンバテッド(プレーン管)ではなくダブルバテッドの丹下チャンピオンNo2。その後、オーダー車を組む時も、石渡パイプでなく丹下パイプを好んで使うようになりました。
フジサイクルは、メカの採用にシマノ製品以外が多かったです。
特に変速機はサンツアーが多く、これも自身がシマノ嫌いでサンツアー好きになった理由だったりもするのです。
良くも悪くも、80・90年代は日本の自転車産業の絶頂期、完成車を売るメーカーもたくさんあり、それらの自転車には必ず日本産パーツで組まれていました。
今やシマノだって国内ブランドではあるものの、日本産のパーツは僅かです。それはヨシガイやスギノも同じ。メーカーこそ生き残っても、もはや国内でのモノづくりは衰退する一方ですね。
日米富士自転車は、今も「Fuji」を名乗るブランドとして残りますが、SRサンツアー同様に日本とは無関係になってしまいました…。
☆
本日はコメント欄は外してあります。