少し間が空きましたが、鹿島鉄道廃線跡めぐりの最終回となります。
冒頭の2枚を除き、過去の写真はモノクロ加工しています。


茨城県の石岡駅から霞ヶ浦湖畔を経て鉾田駅まで走り抜けていた鹿島鉄道は廃線から7年が経ち、鉄道が走っていた頃の痕跡は薄れつつあります(悲)。
鉄道が廃止されたのとは対照的に、茨城空港を開所するという一見矛盾した流れに違和感を覚えた人も多かったはずです。
それは鉄道ファンだけでなく地元の方にとっても…。

桃浦駅跡を出発して、終点鉾田に向かいます。
今やレールが残るのは踏切跡部分だけ。
他は大抵が雑草が伸び、線路跡の様子は伺い知れず。
この場所は菜園として利用されている為、草が刈ってありました。

浜駅を過ぎて、国道355号線をアンダーパスする区間です。

廃止まで2ヶ月ということで、ここの土手にはたくさんの鉄道ファンの姿が。
写真で列車を撮る気持ちは分かります。私も同じですから。
でも、列車に乗る事で、自分の思い出として記憶に留めることも大切ですよね。鉄道を被写体として追いかけるだけでは、鉄道会社にとっては何もメリットになりません。出来れば、鉄道に乗ってあげる事で、思い出とともに、鉄道会社の赤字補填に協力してあげましょう~♪
※こんな事書くと乗りテツにだってマナー違反が居るなどと批判する人も居ますけどね(汗)。

常陸小川駅同様、有人駅で立派な駅舎だった玉造町駅跡もご覧の通り。
何も残っていません。レールは剥がされ分譲地の整地が行なわれていました。
私の気持ちを代弁するように、空からは涙雨が落ちてきました…。

大好きな場所だった、借宿前駅に着きました。待合室もホームもそのままです。
この駅は、周りの里山集落の雰囲気も良く、
次の列車が来るまでの散策の時間がとても楽しかったのです。


駅前に1軒だけポツンと佇んでいた小さな商店も、
鉄道とともに営業を取りやめてしまったようです(悲)。


ここは場所柄、駅の解体は無さそうですが、
自然の力によって雑草に埋もれて行くばかりでしょう。

そして、終点の鉾田駅です。元々バスターミナル併設でしたが、
今は駅舎の跡形も無く…。
赤い自販機後方のコンクリートの壁辺りに駅舎があったと記憶します。

立ち食い蕎麦やたいやき店があり、ローカル線らしい温もりのある終着駅でした。


今は311の東日本大震災の液状化の影響でホームは朽ち果て、そのまま放置。
もし、2007年の廃止を免れたとしても、この震災の影響で廃止なんて可能性もあったでしょう。それでも、同じ茨城県を走る、ひたちなか海浜鉄道のように困難に立ち向かいながらも列車を走らせる姿を鹿島鉄道にも見てみたかったですね。

南海鉄道から、わかやま電鐵貴志川線として
廃止を免れ再生した路線もあります。
これは住民が一帯となって鉄道を残そうとした成果でした。逆に鹿島鉄道は学生たちの必死の廃止反対運動は届かず、沿線住民に見捨てられたようです。この模様は、「ガイアの夜明け」という番組で取り上げられました。
赤字企業が潰れるのは仕方がありません。
でも、鉄道は公共交通手段です。ハコモノばかりにお金を使うよりも、
今あるモノを活かし続ける事も必要だと思います。
茨城空港の今後がどうなるのか……自衛隊共用施設とはいえ、
赤字補填に血税が使われる日は、そう遠くない様な気がします。
いやっもう既に(汗)!?
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