旅からす本館 日本をもっと楽しもう!!

butobosoと申します。 ヤフーブログ停止に伴い移行しました。自転車趣味を中心にライフスタイル全般ならびに旅日記をお届けします♪

自転車、鉄道、オートバイの手段で日本中を旅して30年以上。本土のみならず、北は礼文島から南は波照間島まで様々な土地を旅してきました。 分割ながら、自転車による日本一周を30代で終えました。 旅人宿であるユースホステルには300泊以上宿泊しました。 自費出版で「旅からす」なる旅の本も不定期に発行しています。 子育て真っ最中なので、中々旅には出られなくなりましたが、身近で小さな旅を楽しみながら、家庭崩壊にならない程度に多彩な趣味を楽しんでいます♪

 30年前の夏、仕事を辞めて北海道を走り回っていた。
 時代が良かったのか、自分に運があったのか、
 ヘッドハンティングのような形で次の職場は決まっていたので、
 何もかもを捨てたような放浪旅とは違ったが、
 1ヶ月という長期間を自転車で旅していた20歳の夏。

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 その日は、町立標津町YHから知床半島の羅臼まで走り、
 無料露天風呂の熊の湯に浸かり、宿はラウスYHと決める。

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 ラウスYHは都心にある下宿屋のような建物でした。
 決して清潔・快適とはいえないものの、
 駅で寝袋にくるまって蓑虫のように寝るのに比べれば、極上宿です。

 何より、YH前の海には、国後島が間近に見える。
 食事は魚料理を中心。食後は近くの高台の展望台にホステラー全員で行き、
 花火をしながら、夕闇に消え行く国後島を眺めました。

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 翌日は知床半島を横断する「知床峠」に挑みます。
 標高は700mちょっとながら、海岸線から短い距離で登り詰めるため、
 サイクリストにとっては難所とされていました。

 途中クルマの渋滞に会い、横をスルスルと走り抜けていると、
 クルマのドライバーから、熊が路を横切った事を知らされる。
 見下ろした谷には慌てて逃げるヒグマの姿が。
 この後20回以上、北海道に渡りましたが、
 野生のヒグマを見たのはこれが最初で最後です。

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 この時の私のサイクリングスタイルはこんな感じ。
 ロードレーサーで北海道旅をするサイクリストは皆無。
 キャンピング車やそれに準ずるツーリング車が主流の中、
 私はフラットバーのパスハンターを選択。

 その理由は、サイクリングをしながら山に登る為。
 荷物は背負った70kg級のアタックザック!!。
 このスタイルで、1ヶ月走り続けていたのだから若かったですね(苦笑)。

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 峠近くにある幻の湖と言われる羅臼湖で知り合ったサイクリストと意気投合し、
 その後は、天然滝壺温泉のカムイワッカの滝を目指します。

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 簡単に考えていたら、滝壺の温泉に辿り着くには難所だらけ。
 水着着用の女子達は、滝壺かの下にある温泉に浸かり、
 野郎どもは、素っ裸で滝壺の温泉にドボン!!
 まだ観光名所になる前の良き時代。裏名所には必ず若い旅人が居たものです。

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 今夜の宿は、岩尾別YH。
 増水で流された建物を造りなおしただけあり、綺麗な建物。
 受付を済ませ、先のサイクリストと共に「ホテル地の果て」の露天風呂へ。

 夕食後のミーティングで翌日行われる羅臼岳ツアーに誘われます。
 単独で登るつもりでしたが、単独だと熊が危険だからと説得され、
 知り合ったホステラー達の進めもあり、一緒に登る事にしました。

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 ホテル地の果て横にある登山口まではYHが送迎してくれます。
 今回のツアー参加者は、男性9人、女性2人。みな二十歳前後の若者。
 一人旅を寂しい等という人が要ますが、
 YHに泊まればそんな考えは吹き飛ぶはず。
 みなが旧知の仲のように一夜でなれるのがYHの魅力でもあったのです。

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 ワイワイガヤガヤ。熊鈴なんか無くても熊は近寄って来れません。

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 山頂直下の羅臼平まで辿り着けば一安心。
 ホステラーらしく、記念撮影大会が始まります。
 紅二点の女子に囲まれて、私もパシャリ♪

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 本格的な登山装備なんてしている者は一人も居らず。
 ニッカースタイルの私が逆に浮いていたかもしれません。

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 そして、標高1660mの羅臼岳山頂に到着。
 雲の切れ目から、国後島が見えます。

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 こちらは知床半島の先端を望む。8月なのに残雪も見られます。

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 登山経験ゼロの人も多く、辛いはずなのに、みながこの笑顔!!
 YHで作ってもらったおにぎりを頬張り、唯一私が持ち込んだコンロで、
 お湯を沸かし、インスタントコーヒーを回し飲み。
 良い思い出になりました♪
 我ながら、良い青春してたなぁ~。それもYHのおかげです。

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 全員無事に下山し、食後は海辺で夕涼みミーティング。
 知床の自然は、人の心も風景も、やさしくしてくれるのでした。
                           《1985年8月下旬》

今回の日記を書いたきっかけは、この日に一緒に羅臼岳に登った方が、
私のブログを見てコメントをくれたのです!!
何と言う奇遇でしょう。そして奇跡のような再会劇。

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何もかもがアナログだった、あの時代。
仲良くなったホステラーや旅人達が気軽に住所交換していた、あの頃。

そして、そんな時代にたった一日だけ行動を共にしたホステラーから、
コメントがくるなんて…。デジタル時代も捨てたものではありませんね。
最後に、こんな再会劇にぴったりで、私の大好きな拓郎の歌で締めくくります。
●つま恋ライブ2006●

いつにも増して、長文になった事をお詫び致します。
※30年も前の写真なので、顔は隠していません。ご容赦ください。

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コメント

 コメント一覧 (2)

    • 1. 4あほ
    • 2019年08月13日 20:02
    • 羅臼岳登られましたか、いいでっしょ!眺めが…。
      町民だったこともあって、3~4回ほど登りました。
      登るたびに、トランシーバー・フィールドスコープ・とかもって、
      いろいろと楽しみました。
      ・・・んでもって帰りは風呂はじめっち

      浜頓別YHで、一緒になったホステラーと一大議論、
      「カムイワッカの滝は水着着用か否か」という話で、
      内地のホステラーは「観光地に全裸は公序良俗にもってのほか」
      自分らは「風呂に入るのに水着着用とはかっかしいんでねぇの?」
      ちょうど露天風呂で水着で入るバカヤローが増えたので、けっこう言い合いになったのす。郷(北海道)に入ったら郷に従えっす!
      ・・・カムイワッカにも桶とせっけん持ってたのっすゆたか

      羅臼のユースもおもしろかったと聞いています。Pさんが…
      むかしのYHの良さを守ろうとしたことと同時に、変わりゆく協会や北海道支部になんらかを訴えたかったのかもしれません。
      ・・・国際連盟の松岡代表みたく〇〇を蹴っ飛ばした…とか伝説?みならいかのん

      あたいはむずかしいことはよくわかんないけども、
      でっかいリュック背負ってフロンとバックつけないで自転車駆るってのを、
      「サイクル野郎」の3人組の一人で見たことあるのだ。
      ・・・背負って走るのけっこうツラいらしいのだつるみん「ろんぐぐらいだぁ」とかいうののおねぃさんはそんなことしないのだ
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    • 2.  butoboso0217 butoboso
    • 2019年08月14日 12:09
    • ★4あほさんへ
      カムイワッカ、観光名所のようになってしまいましたしね。
      もちろん私はすっぽんぽんですし、他の女子もタオル巻いただけで入ってましたよ。
      下のヌマル湯に使っている連中は水着着ていたように記憶します。
      今は知りませんが、30数年前はそんな感じでしたね。
      私的には、カムイワッカは1回入れば充分。羅臼の熊の湯は何度でも浸かりたいです♪

      背負って走るのが辛いか、辛くないかも個人差がありますね。私は山登りも好きだったので、苦になりません。悪路走行の場合は、背負った方がコントロールしやすいですし。
      ちなみに羅臼岳に上った時の自転車旅は山歩きも目的でした。雌阿寒、斜里、利尻にも上りながらサイクリングしてましたよ。
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