32年前の記憶通り、木曽路に程近い姥神峠(うばがみとうげ)は、
石仏に囲まれた古道らしさを色濃く残す峠路でした。

権兵衛トンネル、姥神トンネルが開通するまで、
ここが国道(361号線)扱いだった事を知る人も少ないはず。
中仙道から離れている事、古道入口までのアクセスの悪い事、
それらが理由でハイカーの姿もほとんどない道筋に、
自転車を担いで峠越えをしようとする行為をイメージできる人も少ないはず。
そして、自転車が趣味と言っているサイクリストでもそれは同じ。
現代より遥かに登山道の情報が少なかった昭和の時代は仕方なし。
しかし、この姥神峠に関しては現代のネット検索でも情報があまり無く、
相方の8氏とは、最悪の展開を想定してのパスハンティングです。

姥神峠の入口は羽淵集落の民家軒下を通るように進みます。

最初は担ぎを要しますが、次第になだからな沢筋の路となり押して歩けます。



入口から30分ほどで多くの石仏の見守る姥神峠に到着。
石仏のある峠には幾度となく訪れましたが、ここの石仏群は圧巻です。
当然ながら、その石仏群は32年の月日を感じさせず時が止まったかのよう。
「いつか再び、この峠路へ!!」
思い続けて来た、一つの宿題をようやく片付ける事が出来ました。

神谷集落に降りる路は、ここまでとは違い急斜面の悪路。
32年前にも苦労した覚えがあるが、それとは比べ物にならないほどの荒れ様。
それでも、まだ路としての最低限の体裁は保っていたのだが…、

「ミ チ ガ ナ イ……!!」
下り行程の3分の2ほど進んだ所で土砂崩れのため路が消えていました。
しばし、呆然と身体が固まってしまいます。
よく見るとロープが張ってあり、普通の登山者なら何とか通れるレベル。
しかし、我々には自転車がある。
通り抜ける方法を思案するも、仮にここを抜けても
その先の路がまた崩れていたら…。
「やめて引き返そう、今ならまだ日没までの時間もたっぷりある」
20代の頃なら、若さを武器に無理してでも先に進んだかもしれない。
しかし、50代の家族持ちの我々が危険のリスクを犯すべきではないと判断。
清き撤退と言うほど、その時は気持ちの余裕は無かったが、
これまでも二人で行なって来たパスハンティングには決断の時が度々あった。



先に進むか!? 引き返すか!?
その決断は、どちらにせよ迷い続けない事!!
気持ちに迷いがあるまま行動を続ければ、気が緩み事故のリスクが高まるから。
近年、山サイやパスハンティングという言葉を、
勘違いして使うサイクリスト(特にロード乗りの方)を見かけます。
山岳サイクリング、パスハンティングは一つの自転車趣味のジャンルとして、
古くから愛好者が細々ながらも続けている伝統的スタイルなのです。
格好良くも無いし、非常に泥臭い自転車遊び。
でも、自然や古道の魅力に取り憑かれると止められなくなります(苦笑)。


こちらは、崩落箇所のあった姥神峠の神谷側の登山道入口。
確認のために空身で歩いてみた所、崩落箇所は前記の1箇所のみでした。
普通の登山者ならロープを辿り、通過は可能と思われますが。要注意です。
そして、パスハンティングに挑むサイクリストにはおススメできません。
近年の情報皆無地帯でしたので、このような情報形式でお届けしました。
木曽路サイクリングの全体レポートは後日掲載予定です。
[2016年5月1日走行]
〈参考ルートマップ〉
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