YHの詳しい歴史を知りたい方はwikiにアクセスしてみてください。
このユースホステルのコーナーは私が300泊の宿泊経験をしてきた事を
中心にまとめていきたいと思っています。
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先日の当ブログで紹介した知人の息子二人の自転車旅。
横浜を出発して三国峠を越えて新潟へ。
そこから酒田、新庄、山形、福島、いわきを経て無事に帰宅したそうです。
途中、大雨で足止めを食ったそうですが、
初めての一週間の自転車旅はよき思い出になった事でしょう。
※私ら親子は、後日同じようなルートを鉄道で巡ります(苦笑)
そんな彼らに自転車旅のアドバイスを求められた時に、
「ユースホステルって知ってるか!?」
と投げかけた所、全くその存在を知りませんでした。
平成も30年の時を重ねた現代に、昭和の若者の定宿は、
今の若者には未知なるもの。
今もユースホステル(以下YH)は全国に存在し続けますが、
その宿の立ち位置は昔とは全く異なるような気がします。
歴代のYHハンドブックとガイド本。
表紙の写真の中には若き頃の私の勇姿!? も掲載されています(汗)。
裏磐梯YH
尻屋崎YH
夕食後のミーティングに朝はラジオ体操。
部屋の掃除を済ませて出発時はみんなで記念撮影。
下は小学生から大学生までの男女が一人旅でも安心して泊まれる宿。
皿洗いや目上の方への接し方は、良い意味で人生勉強になりました。
そんなYHも昭和の終わり頃になると、
若者の宿である事に変わりはありませんでしたが、
ビールやタバコが解禁され、
ホステラーは成人男性が主体になっていきます。
鉄道・バスの公共交通手段や自転車旅の若者は減っていき、
オートバイはまだしも、クルマで訪れるホステラーも多くなります。
YHはそれに対応するかのように、二段ベッドの廃止、
皿洗いやミーティングもしなくていいような普通の宿と化していきます。
時に、世の宿の流れはペンションブームなどもあり、
YHもまた、ペンション風の小規模YHに人気が集まり、
二段ベッドや和室タイプ、大規模定数のYHから離れていきました。
夕張フォレストYH
なよろサンピラーYH
もちろん、そんな流れのYHも私は大好きで泊まり続けますが、
結果的にはYHの若者離れにも繋がってしまったように思います。
平成も2桁な年になる頃には、YHに泊まっても20代すら珍しく、
未成年のホステラーを見かける事は滅多になくなりました。
結果、建物の老朽化の続く大規模定数の公営・町営YHの大半は消えます。
中には、新築で再開するYHもありますが、それはほんの僅か。
今や、1軒のYHが新開所に対して5~10のYHが閉館。
もはや宿としてのネットワーク機能は危うい状況なのです。
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先日、ひっそりと一つのYHが閉館(2018年3月末)しました。
それは釧路湿原に隣接する「釧路湿原とうろYH」。
YHとしては、比較的新しい宿でしたが、
釧路YHと釧路まきばYHなき後は、釧路観光には便利なYHでした。
私も何度か宿泊しましたが、とうろYHに最後に泊まったときは少し違和感が。
上記の写真の真ん中は私ですが、もう一人のオートバイライダーを除くと、
高齢の方と外国人旅行者ばかりだったのです。
建物も規則もユースホステルそのものですが、
宿泊者の大半は「ホステラー」と名乗るのに無理があるような!?
もちろん、若い頃に利用し、YHを懐かしくして再び利用な高齢者も多いです。
しかし、大半は値段の手頃さで選んだだけで、YH設立の意味合いを知りません。
中には「じゃ○ん」で見かけてネット予約したと言う方も。
それもこれも時代の流れ……と割り切っていいのでしょうか。
「最近の若者は一人旅に全く興味を持たない」
そんな言葉を私は発し、それに同意してくれる同年代の方は多いです。
しかし、実際は「若者が旅に出られにくい」環境もいけないのでしょう。
国鉄もJRに変わり、若者が旅に使いやすいキップは減るばかり。
青春18きっぷは相変わらず人気がありますが、
新幹線開通で地方のJRは3セクに変わり、
18きっぷでは乗れない路線が増えるばかり…。
これでは、ますます一人旅するような若者は居なくなって行きますよね。
☆
話は戻り、知人の息子たちは今回の自転車旅は全て野宿。
それはきっと、かけがえの無い思いで作りとなった事でしょう。
しかし、YHのような宿が昔のように若者の宿であり続けたなら……。
きっと、再び自転車旅に出ようと思ってくれる事でしょう。
若者を快く受け入れて、宿としてだけでなく、親目線で面倒見てくれる。
「ただいま!!」
「おかえりなさい!!」
そんな宿での自然な会話の出来たYHは、今は消えゆくばかりです。
北海道だけは、YHがそれほど減らずにすんできましたが、
最近はそんな流れも変わり、減り続ける一方です。
釧路からYHが消え、最盛期に5つあった知床半島のYHも岩尾別のひとつだけ。
網走から稚内にかけてのオホーツク沿岸はサロマ湖YHのみとなりました。
学生の夏休みは1ヶ月以上前に予約を入れないと泊まれなかったYH。
ベッド数だけでは足りないほどの若き宿泊客で賑わったYH。
快適さと自由さに重点を置き過ぎたYHが、
逆に旅人から魅力的に思えなくなってしまったのは何故でしょう……。
浜頓別YH
あかしや荘YH
クッチャロ湖での水遊びイベントやカ二食べ放題デーのあった浜頓別YH、
ラム肉のしゃぶしゃぶパーティーのあかしや荘YH。
ともに今は建物も取り壊されてしまったようです。
今は「ゲストハウス」の人気が高いとか。
しかし、ゲストハウスは大人のための自由な宿ではありますが、
決して若者の宿ではあれません。
そして、ゲストハウスの先駆者「ユースゲストハウス」や、
沖縄の安宿的なゲストハウスとも違うような気がします。
色んなタイプの宿が増える事は歓迎しますが、
若者の旅宿的な場所が少な過ぎますよね……。
●butobosoのユースホステル宿泊一覧 その6(229~253泊目まで)●
昭和56年(1981年)から現在までの私の宿泊履歴となります。
名称は宿泊時のものとなります。
△は閉館もしくは長期休業中 ※は名称変更 平成30年8月現在
《1995年(平成7年)》 11泊
229.網走流氷の丘YH(北海道/1.1) 眺めの良い丘の上の立地
230.網走流氷の丘YH(北海道/1.2) 冬は流氷観光の拠点にも便利
231.富良野ホワイトYH(北海道/1.3) △ 元祖ペンション風YH
232.なかしべつYH(北海道/8.19)△ トラブル多し!?
233.サロマ湖畔YH(北海道/8.20) 大きな施設で快適です。Pも面白い!!
234.小平町立望洋台YH(北海道/8.21)△ 特徴ある建物
235.浜頓別YH(北海道/8.22)△ サイロのある建物
236.美瑛ポテトの丘YH(北海道/8.23) ペンションも真っ青な設備と食事
237.ニセコ高原YH(北海道/8.24) 小学校の廃校を再利用
238.えびすやYH(島根県/10.7) △ 下宿のような懐かしい施設
239.蓼科クライネYH(長野県/11.11) P夫妻が良き旅人思い♪
《1996年(平成8年)》 6泊
240.沖縄国際YH(沖縄県/5.2) 学生団体の常宿、個人ホス少なめ
241.沖縄国際YH(沖縄県/5.3) 立派な施設ながらも団体向け
242.真栄田岬YH(沖縄県/5.4)△ マリンスポーツイベントが盛ん
243.真栄田岬YH(沖縄県/5.5)△ 沖縄本島北部観光の拠点に!!
244.草津高原YH(群馬県/8.2) 温泉街外れの大規模施設
245.蓼科クライネYH(長野県/8.3) 高原遊びの拠点に便利
《1997年(平成9年)》 8泊
246.網走流氷の丘YH(北海道/1.2) カニが食べられる日もアリ!!
247.札幌ハウスYH(北海道/1.3) △ 駅近くでとても便利な宿
248.原生花園YH(北海道/8.3)△ 湖畔に建ち自然いっぱい
249.東大雪ぬかびらYH(北海道/8.4) 北海道の真ん中、温泉街の中!!
250.イルムの丘YH(北海道/8.5) 丘の上の手作りログハウス♪
251.イルムの丘YH(北海道/8.6) 道央の観光拠点、二輪のベース宿に
252.ニセコアンヌプリYH(北海道/8.7)△ 食事はフルコースディナー
253.沖縄国際YH(沖縄県/12.30) 国際通り近くの便利な宿
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コメント
コメント一覧 (6)
去年の2月ごろ、網走管内のYHさん(出川哲郎の電動バイクに出た)との話の中で、
「ユースの建物と権利売りに出してるけど…」って現実味帯びた話はありましたし、
5年前には所用で伺ったときには、「だれかここやらないかなぁ…」って、話もされていましたから、
はじめは冗談かなと思いましたが…。ここは北海道でもほとんどないユース専業で生計を立ててたので、客足の伸び悩みももそうですが…。
(ほかは副業があるか、冬の臨時バイトや「出稼ぎ」ですごしてます)
YHの経営はまさに「3K職場」で、休みなどもなかったに等しいと聞いてたりします。
還暦に近くなったら、もう充分「ご苦労様でした」でもいいのかなとも思います。
釧路まきばのPさんも、「60になったら、スパッとやめて隠居する」とおっしゃってました。それだけ大変…というのは要因の一つかもです。
むかしは「おばさん」っていったら、「そんなにちがわないのに失礼でしょ!」って怒ってたPママさんなのに、
最後のほうでは「もう、おばさんじゃなくて、おばあさんになっちゃいたわよ」って、コワいイメージがずいぶんと弱っちゃってました。
もちろんそれだけではないのかなって思いますが…まずは「長年のYH活動に敬意を表して…」と言えれば…。
・・・解約後も1年くらいYHの名義使ってましたからもしかしたらと思ってましたが…はじめっち
butoboso0217
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とうろYHに最後に泊まったとき(8年ぐらい前)は既にYHというよりシルバーホステルでした。そして若い人はみな外国人。しかもじゃらん系のサイトで宿泊者を受け入れていた事にも驚きましたよ。時代が変わったとはいえ、若者の旅離れはYHも変えてしまいましたね。
網走だと流氷の丘かな!? あのYHも数回利用していますが経営は厳しいのでしょうね。
確かに今時のYHは副業なくしては維持できませんね。YH協会ニュースではペアレント募集の記事を見かけますが、成り手が居なくて休館のままの所も多いですよね(悲)。
butoboso0217
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旧中山記念小清水、現はなことりさんのほうからの情報です。
ペアレントの募集をかけても、直営ユースはでかすぎて、しかもエアコン・灯油暖房がメインだったんで(ヘタすると外タンクが一週間持たない)、
「はなことり」も「陸高」も「焼山」も薪ストーブやダルマストーブで寒さをしのいでいました。みな一様に苦労したそうです。
じゃらん系の宿泊者受け入れ…これも大変ですね。どういう宿かわからないで来る人多いんで。
わけわからず評価つけて、「(混んでたから)相部屋要求された」とか、「安い宿泊料なのに)この程度の食事か!」とか、
ひでぇのになると、「ここは旦那さんがウリの宿だって聞いたのに、奥さんが出てきてがっかりです!」(多分病気の具合が悪かったんだと思う)
って、「じゃらん」ってば、使う人も含めてあましいい印象ないんです。
・・・はじめっち ほか
butoboso0217
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小清水YH、最後に泊まった時は真冬。
薪ストーブの小部屋が設けられていて、食事やミーティングはそこで行ってました。
全館暖房は既にしていなくて、寝る部屋は寒かったです。寒かったら二人分の毛布を使ってくれと言われましたね。
じゃらん系から予約された方は、当然ながらYHのシステムは知らないでしょう。
相部屋になった人がみなYHを知らない人ばかり。唯一オートバイライダーの人だけがスムーズに会話が出来ましたよ。集客が大変とはいえ、YHが一般客ばかりになってしまったことも斜陽に拍車をかけましたね。
butoboso0217
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を検索したら貴殿のブログがありました。
「旅からす本館 日本をもっと楽しもう!!」
私もヤフーブログ停止に伴い移行しました。
ライブドア「あらヨットのお気ままブログ」
http://blog.livedoor.jp/nissin_aichi/
があります。
ユースホステルの歌もYouTubeで作りました。
九州一周、中国地方一周も自転車でしました。
butoboso0217
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こんばんは。
旅するサイクリストが減るのと比例するようにYHも減ってしまいましたね。
昔は100km間隔でYHがある場合が多かったので自転車で利用しやすかったですが、今や県に一つのYHのない場所も増えてしまってはどうしようもないのです。
外国人観光客がいなくなり、都市部のYHも大変そうですし。昔と比べてはいけないのですが。色んな意味でYHの存在しにくい情勢になってしまいましたよね。
butoboso0217
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