「冬はスキーの板を履いて学校に行ったもんだよ」
「一階は馬小屋、大雪で1階が埋まるから、2階に玄関があった」
お袋は、豪雪地帯で知られる長野県の栄村で生まれ育った。
6人兄弟の5番目、しかも女の子はあまり歓迎されない時代。
中学を卒業すると、すぐに住み込みの看護学校に入り、
その後、上京して父と出会ったらしい。

横浜一の繁華街、伊勢佐木町近くの大岡川沿いの理容店2階に下宿し、
そこで兄を生み、当時憧れの住まいだった横浜市内の大規模団地に移住。
そして、私が生まれた。
小川流れる里山や田畑に囲まれるように造られた団地は、
子供にとっては遊び場の宝庫のような住環境。
しかし、大人になると閉鎖的な団地に物足りなさを感じ、
私は奇遇にも両親の最初の住まいであった大岡川近くに移り住み、
そこで家族を持つようになった。

横浜と一口で言っても広大であり、海に面した場所はほんの一握り。
昭和末期の頃の横浜は、里山を悉く潰しマンモス住宅街と化した。
平成の今は、昭和の横浜とは大きく様変わり。
生粋のハマッ子は、実は少ない。
私のように親を地方出身のルーツを持つ、名ばかりのハマッ子が多い。
でも、親から命を与えられた、横浜という土地にみな思いは深いはず…。

母の葬儀は終わり一段落。
まだ後処理は残りますが、ようやくいつもの日常に戻りつつあります。
次男の気楽さ、風来坊的な性格のためか、
別の土地に移住することを幾度も考えましたが、今は家族を持つ身。
子供たちは3世代に渡り横浜で生活する「生粋のハマッ子」になりました。
住む場所は変われど、横浜市内からは逃れられぬ。
今はそれも善しと思えるのは、
自分の老いに対する覚悟の表れかもしれません。

父と母、5年半ぶりの再会。
きっと生前以上にうまく寄り添っている事でしょう。
我が人生を与えてくれてありがとう!!。
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